◆民主党大統領候補を正式に指名する民主党全国大会の議事録をデジタル化
本コレクションは民主党大統領候補を正式に指名する民主党全国大会の議事録をデジタル化して提供するものです。議事録は演説、討論、投票結果、党規約、代議員名簿等で構成されています。1832年から1988年までの全国大会がカバーされます。
1832年の全国大会では大統領選の指名獲得には3分の2の代議員の得票を必要とするとのルールが設けられました。1836年と1840年の全国大会ではこのルールは放棄されたものの、1844年の全国大会では前大統領のマーティン・ヴァン・ビューレン(Martin Van Buren)の指名獲得の阻止を狙う陣営により、ルールが復活され、以後約100年間に亘り維持されることになります。
このルールにより全国大会は膠着状態に陥ることがありました。最も有名な例は1924年の全国大会で、禁酒法反対派(Wets)が推すアルフレッド・スミス候補(Alfred E. Smith)と禁酒法支持派(Drys)が推すウィリアム・マカドゥー候補(William G. McAdoo)の間で票が割れ、実に103回に及ぶ投票が行われたにもかかわらず決着がつかず、両陣営の妥協の産物として、最終的にジョン・デイビス候補(John W. Davis)が大統領候補に指名されました。3分の2ルールは1936年に廃止され、以後ほとんどの全国大会で1回の投票により、指名候補が確定することになります。3分の2ルールが適用されていた時代、南部の民主党員の影響力が大きく、その支持が得られない候補者は指名を獲得することができませんでした。
しかし、3分の2ルールが廃止されると、北部のリベラルな民主党員の党内での影響力が大きくなり、失望した南部民主党員の多くが離党し、共和党に鞍替えする動きが、特に公民権運動が盛り上がりを見せた1960年代に起こりました。1968年にシカゴで開催された全国大会では、全国大会を批判する「ヴェトナム戦争を終結させる全米動員委員会(National Mobilization Committee to End the War in Vietnam, MOBE)」がデモ行進を行ない、シカゴ市長のリチャード・デイリー(Richard J. Daley)が警察を動員し、デモ隊を強制排除させるなど、騒然とした状況下での大会となりました。この大会後、党大会での指名方式を改革する委員会が立ち上がり、指名獲得における予備選挙の役割を強化し、代議員の一定数に女性やマイノリティを割り当てるクオータ制を導入し、従来政治討論のテーマとしては相応しくないと見なされた避妊やマイノリティの権利のようなテーマを積極的に取り上げることを内容とする改革が実行に移されました。
1970年代以降は、党内の対立候補間の論争を見せるよりも、国民に対して党の結束を印象付けた方が望ましいとの判断から、全国大会は大統領指名候補を選ぶ場というよりも、実質的に確定している指名候補を公式に承認する場となり、現在に至っています。
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