◆ローザンヌ会議後のギリシアとトルコ、バルカン諸国地域の情勢
本資料集は米国国立公文書館が所蔵する国務省文書のうち、1930年から1944年までのトルコ、ギリシア、バルカン諸国の外交事情に関する機密報告書を収録したものです。米国国務省からの各種指令や同地域に身を置く米国外交員・領事館員による報告書や公文、覚書、国務省と諸外国政府との通信記録などを網羅しています。第一次世界大戦後の講和会議であるローザンヌ会議において、ギリシア・トルコ間で住民交換条約が成立し、ローザンヌ条約調印は両国にとって歴史的転換点となりました。条約調印の1年後には難民の数が約70万人に達するなど、ギリシアとトルコ両国にとって国家再建の時代となる1923年から1933年までの10年間、その中軸には多数の難民の存在がありました。トルコは国父として名高いムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領(在任:1923-1938年)が、独裁体制を確立し世俗主義を掲げながら政治、社会、経済、文化各方面に変革をもたらします。一方でギリシアは第二共和政期に入り、政治家エレフテリオス・ヴェニゼロスを中心に近隣諸国との友好関係改善に着手し、バルカン情勢の安定と経済協力を目的として1934年にはギリシア、トルコ、ルーマニア、ユーゴスラヴィアの4ヵ国にてバルカン協商を締結するに至ります。しかしながら、ナチス・ドイツやイタリアの台頭により1936年以降締結国の連携は瓦解し、第二次世界大戦期へと突入していくのです。
本資料集はトルコやギリシアのみならず、ルーマニアやブルガリア、アルバニアといったバルカン諸国の外交関係資料を収録しており、また中東や日本、中国といったアジア諸国と交わした友好(通商)条約に言及する資料にも収録対象は及んでいます。本資料集は米国国務省の外交文書を通して、戦間期から第二次世界大戦期のトルコ、ギリシア、バルカン諸国の政治、経済、社会情勢に迫ります。
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