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商品詳細

Albania: Records of the U.S. Department of State, 1945-1963.


アルバニア関係文書 1945-1963年

◆建国からユーゴスラビアとの断交、スターリン批判後のソ連との関係悪化、中国との関係強化へ

 第二次大戦中の1941年、ユーゴスラヴィアの共産主義者の支援を受け、アルバニア共産党が創設されました。共産党は、ヨーロッパで教育を受けた知識人と土地を持たない南部の農民を主要な支持層としていました。1942年、共産党が組織する民族解放戦線(National Liberation Front)と国民戦線(Balli Kombetar)という二つの二つのレジスタンス団体が生まれます。連合国は二つのレジスタンス団体を統合しようと試みますが、両者は抗争を繰り広げます。優位に立った民族解放戦線は1944年5月、国民議会を招集し、最高立法機関として民族解放反ファシスト会議を創設、同年10月にはエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha)を首班とする臨時政府を立ち上げます。そして、戦後の1946年1月、アルバニア人民共和国の建国が宣言されます。共産党の総書記と首相に就任したホッジャは、抑圧と恐怖政治により、対立する党派を根絶し、一党独裁体制を敷き、経済を国有化しました。対立する党派の粛清は内務大臣のコチ・ヅォヅェ(Koçi Xoxe)が当たりました。1948年、チトーがスターリンと対立すると、ホッジャはユーゴスラヴィアとの国交を断絶し、アルバニア共産党の名称をアルバニア労働党に変更し、ソ連とのより緊密な関係に入ります。ユーゴスラビア寄りの姿勢を示していたヅォヅェは1949年に処刑されます。スターリン主義のドグマを体現したホッジャの下、アルバニアは1950年代、東欧諸国の中でスターリン主義の傾向が最も強い国家になりました。フルシチョフのスターリン批判後に脱スターリン化の傾向が広まるのを顧みることなく、抑圧と中央集権化の度合いを深め、農業の完全な集団化を推し進めました。ソ連との関係が悪化した後、アルバニアは中国に接近し、中国から経済的、軍事的支援を受けるようになります。アルバニアと中国の友好関係は1960年に最高潮に達し、中国がアメリカとの国交を回復する1970年代初頭まで続きます。

 本コレクションは、米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わしたアルバニアの政治、経済、社会、軍事動向に関する往復書簡です。往復書簡の他に、国務省スタッフが用意した報告書や覚書、国務省と外国政府との交信記録、国務省以外の省庁、民間企業、個人との往復書簡も収録されています。本コレクションは1945年から1963年までの文書を収録しますが、この期間、米国はアルバニアに大使館や公使館を設置していません。そのため、アルバニア国内ではなく、ベオグラード、モスクワ、ローマ、ベルリン等、アルバニア国外から発信された文書を収録します。

※本コレクションはマイクロフィルム版Records of the Department of State Relating to the Internal Affairs of Albania, 1945-1949; 1950-1954; 1955-1959; 1960-1963をデジタル化したものです