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商品詳細
The Papers of Emma Hart Willard 1787 - 1870: Educator, Writer, and Activist . From the Holdings of the Emma Hart Willard Papers Project, Troy Seminary, New York. 35mm silver positive microfilm 25 reels with guide. アメリカ最初の女学校「トロイ女学校」を設立 エマ・ウィラード女史文書
・ISBN 978-0-88692-646-5 microfilm
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★★★
| 著者・編者 | Willard, Emma Hart, |
|---|---|
| 出版社 | (UPA, US) |
| 出版年月 | 2004 |
| 言語 | ENG |
| ニュース番号 | <537-3227> |
解説
もし 19 世紀の優れた女性教育家を問われれば、間違いなくエマ・ウィラード女史の名前があげられるでしょう。彼女は『女性教育の向上計画』で認められ、女子教育のレベルを飛躍的に向上させる上で大きな役割を果たしました。彼女が設立した「トロイ女学校(女子高校)」は合衆国で最良の女学校のひとつと認められ、その後に続く女学校のモデルとされました。
コネチカット州のベルリン(ニューヘイブン北方40km)の地方名家に生まれたエマ・ウィ
ラード(1787-1870)は、ベルリンの中等学校で学び、20 歳でヴァーモント州のミドルバリー女学校の首席となります。1809 年ジョン・ウィラードと結婚後も勉学に勤しみ、ミドルバリー・カレッジの課程を卒えますが学位を与えられませんでした。1814 年財政的困難を抱えながら、数学、哲学、幾何学を加えた当時としては斬新なカリキュラムをもったミドルバリー女学校を開きます。1818 年ニューヨーク州知事と州議会に支援を求めた請願書を出しますが、それが有名な『女性教育の向上計画』(1919)です。彼女はワーターフォード(州都オルバニー近郊)に移転、州の認可は得ましたが州議会の財政援助は得られませんでした。その後隣町トロイの招致をうけ移転し「トロイ女学校」となります。1821 年から1838 年まで彼女は、多くの優れた女性教師を育て、テキストブックも作り、事実上米国最初の女史カレッジであるトロイ女学校の経営に力を尽くします。1830 年には訪欧し、ギリシャのアテネの女学校設立を援助します。1838 年以降は女学校経営は他に委ね、教育理論家のヘンリー・バーナードとともに、公立学校の増設・拡充、設備の充実、女性教師の待遇改善など教育発展のためのキャンペーンに歩き回りました。1854 年ロンドンで開かれた世界教育会議に米国代表として参加しています。教育面での先駆的活動に関わらず女性の地位といった面に関しては保守的な観点にとどまっていました。独立宣言時代から南北戦争期にいたるアメリカ教育史、女性教育に関しての貴重な史料です。
コネチカット州のベルリン(ニューヘイブン北方40km)の地方名家に生まれたエマ・ウィ
ラード(1787-1870)は、ベルリンの中等学校で学び、20 歳でヴァーモント州のミドルバリー女学校の首席となります。1809 年ジョン・ウィラードと結婚後も勉学に勤しみ、ミドルバリー・カレッジの課程を卒えますが学位を与えられませんでした。1814 年財政的困難を抱えながら、数学、哲学、幾何学を加えた当時としては斬新なカリキュラムをもったミドルバリー女学校を開きます。1818 年ニューヨーク州知事と州議会に支援を求めた請願書を出しますが、それが有名な『女性教育の向上計画』(1919)です。彼女はワーターフォード(州都オルバニー近郊)に移転、州の認可は得ましたが州議会の財政援助は得られませんでした。その後隣町トロイの招致をうけ移転し「トロイ女学校」となります。1821 年から1838 年まで彼女は、多くの優れた女性教師を育て、テキストブックも作り、事実上米国最初の女史カレッジであるトロイ女学校の経営に力を尽くします。1830 年には訪欧し、ギリシャのアテネの女学校設立を援助します。1838 年以降は女学校経営は他に委ね、教育理論家のヘンリー・バーナードとともに、公立学校の増設・拡充、設備の充実、女性教師の待遇改善など教育発展のためのキャンペーンに歩き回りました。1854 年ロンドンで開かれた世界教育会議に米国代表として参加しています。教育面での先駆的活動に関わらず女性の地位といった面に関しては保守的な観点にとどまっていました。独立宣言時代から南北戦争期にいたるアメリカ教育史、女性教育に関しての貴重な史料です。