株式会社極東書店トップ商品一覧Records of the Dept. of State relating to the Internal Affairs: Korea (includes North and South). 6: 1960 - 1963. (D.F. No. 795, 895, 995; 795A, 895A, 995A; 795B, 895B, 995B) 10 reels with guide.

商品詳細

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Records of the Dept. of State relating to the Internal Affairs: Korea (includes North and South). 6: 1960 - 1963. (D.F. No. 795, 895, 995; 795A, 895A, 995A; 795B, 895B, 995B) 10 reels with guide. 米国国立公文書館(NARA)所蔵 米国国務省機密文書 朝鮮の国内事情 1960~1963年

microfilm

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出版社(Scholarly Resources, US)
出版年月2001
言語ENG
ニュース番号<K01-60>

解説

朝鮮戦争後の南北朝鮮は、資本主義と社会主義という相異なる社会制度の下で分断され、それは南北それぞれの政治から思想にいたる内面にまで深くかげを落としています。分断の強いる矛盾はこの時期、とりわけ南朝鮮において顕在化し、ついに沈黙を強いられていた民衆の、統一と民主国家への念願は、1960年4月李承晩政権に対する学生・市民の蜂起となって再生しましたが、1年後の61年5月朴正熙の軍事クーデタ-で再びこの念願は封じ込められることになりました。朴正熙政権の下で強化された反共法(1961年5月)、国家保安法(1962年9月)が国民の手足を縛っていくことになります。
1960年3月の大統領選挙で李承晩は四選されましたが不正選挙糾弾の声が広がり市民・学生デモの波の中で下野しハワイに亡命せざるをえませんでした。7月総選挙で圧勝した野党の民主党が政権を引き継ぎましたが党争が激しく国内情勢は混乱を極めます。軍内部でも李承晩政権の腐敗に協力した将軍に対する整軍運動が高まります。1961年5月朴正熙、金鐘泌らはクーデターで政権を握り、戒厳令、国会解散、国家再建最高会議をつくり軍政を布きました。米国は軍政延長に反対し民主主義への復帰を強要、1963年10月民政復帰の大統領選挙で朴正熙が当選します。クーデター政権は貧しさからの解放、旧悪一掃などの革命公約を掲げましたが、朴正熙の開発独裁の始まりでもありました。旧悪一掃を宣言した軍事革命勢力はまもなく不正腐敗に染まっていきます。
当時は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の経済発展が南朝鮮(大韓民国)を凌駕していたようで、朴正熙政権は北朝鮮を圧倒するため経済開発を強調し、1962年から第1次経済開発五ヵ年計画をスタートさせます。産業発展のために労働運動は厳しく弾圧され、福祉は切り捨てられていきました。北朝鮮では1960年社会主義的農業経営の「青山里方法」を定式化し翌年第1次七ヵ年計画がスタートします。ソ連と友好協力相互援助条約を結び、1962年末には朴政権に対応して「全人民武装化、全国土要塞化」が叫ばれました。
本資料集はカレッジ・パークの米国国立公文書館(NARA)に所蔵される、最近機密解除された米国外交機関による報告書や収集資料で、朝鮮に関する政治、軍事、社会、経済、歴史、文化、産業、農業、交運など多岐にわたって朝鮮の事情を明らかにする重要な第一次資料です。