株式会社極東書店トップ > 商品一覧 > Evacuation of the Japanese from the West Coast: Final Report and Papers of the Adjutant General's Office . NARA RG94, Records of the Adjutant General's Office, Records Relating to Wars, 1812 - 1943, Final Report and Papers Relating to the Japanese Evacuation from the West Coast. 35 mm silver positive microfilm 7 reels with guide.
商品詳細
Evacuation of the Japanese from the West Coast: Final Report and Papers of the Adjutant General's Office . NARA RG94, Records of the Adjutant General's Office, Records Relating to Wars, 1812 - 1943, Final Report and Papers Relating to the Japanese Evacuation from the West Coast. 35 mm silver positive microfilm 7 reels with guide. 米国西海岸の日系人の強制収容-高級副官部資料集 米国国立公文書館(NARA)所蔵
・ISBN 978-0-88692-683-0 microfilm
絶版
お気に入り
★★★
| 出版社 | (UPA, US) |
|---|---|
| 言語 | ENG |
| ニュース番号 | <548-3018> |
解説
本コレクションは、米国国立公文書館に所蔵される、第二次大戦中の日系アメリカ人強制収容に関する高級副官部記録をマイクロ化したもので、新聞、雑誌の切り抜き、布告、規則、写真、被収容者や収容所関係者の聞き取り調査などを集めた資料集です。
1941年12月の米国の宣戦布告後、F.D.ローズヴェルト大統領は「軍事的必要」のために、西海岸地域の軍事指定地区から日系アメリカ人を強制移転させる決定を下しました。この大統領行政命令第9066号により、彼は、軍司令官に権限を与え、太平洋岸から日本人の先祖をもつ者を強制的に移転させたのです。1942年3月2日には、John L. DeWitt将軍が、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、アリゾナ4州にわたって軍事地域第1区と第2区を設置しました。1942年3月19日、上院と下院はPublic Law 503を通過させ、日系アメリカ人の強制退去を是認しました。3月24日に、DeWitt将軍は、108 Exclusion Ordersを発布し、特定地域の日系人の移住を命じたのです。3月27日には、軍事地区内に居住する日系人の強制収容と抑留を指示し、彼らが、勝手に居住地区を離れることを禁じました。軍は、3月末から日系アメリカ人を強制収容所へ連行しました。こうした日系アメリカ人の強制退去の統括は、戦時市民統制監督局WCCAにゆだねられました。本コレクションの新聞資料には、WCCAの命令、居住者への勧告、労働情報、収容所の活動報告などが詰め込まれています。また、WCCAが、大戦中、収容所の過密化により、新しく建設された収容所に、住民を再移転させる決定を下したことを伝える極めて重要な記事も存在します。その後WCCAから戦時転住局WRAへ退去者の管理が移りました。1943年初頭、WRAは米国への忠誠を確約した退去者に限って、彼らの強制収容所からの解放を認め、逆に、日本への忠誠が強いと判断された者を、カリフォルニアのツールレイクにある「隔離収容所」に送致しました。
本コレクションは、日系アメリカ人の強制退去に賛同した、アメリカ在郷軍人会American Legionや、各種農業団体、商工会議所、西海岸の市長、西部出身の国会議員などの証言を収録する一方、被抑留民の権利を擁護していたアメリカ自由人権協会ACLU、日系アメリカ人市民同盟JACLの記録を残しています。主な資料である新聞や雑誌の切り抜きは、当時の強制収容に関する日系2世の法廷での闘争や、強制退去を強いられた退去者の損害賠償問題など幅広い内容を持っております。例えば、マンザナール強制収容所を訪れたある編集者は、「強制収容は、日系2世に深く染み付いたデモクラシーの信念に対する驚くべき一撃であった。我々は、『肌の色、信条、昔の隷属状態にかかわらず』という教科書の文言を何の疑いも無く信じてきた。今では、マンザナールの狭い境界内で、多くの人が不思議に思っている」と収容された日系人の複雑な心境を報告しております。
1941年12月の米国の宣戦布告後、F.D.ローズヴェルト大統領は「軍事的必要」のために、西海岸地域の軍事指定地区から日系アメリカ人を強制移転させる決定を下しました。この大統領行政命令第9066号により、彼は、軍司令官に権限を与え、太平洋岸から日本人の先祖をもつ者を強制的に移転させたのです。1942年3月2日には、John L. DeWitt将軍が、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、アリゾナ4州にわたって軍事地域第1区と第2区を設置しました。1942年3月19日、上院と下院はPublic Law 503を通過させ、日系アメリカ人の強制退去を是認しました。3月24日に、DeWitt将軍は、108 Exclusion Ordersを発布し、特定地域の日系人の移住を命じたのです。3月27日には、軍事地区内に居住する日系人の強制収容と抑留を指示し、彼らが、勝手に居住地区を離れることを禁じました。軍は、3月末から日系アメリカ人を強制収容所へ連行しました。こうした日系アメリカ人の強制退去の統括は、戦時市民統制監督局WCCAにゆだねられました。本コレクションの新聞資料には、WCCAの命令、居住者への勧告、労働情報、収容所の活動報告などが詰め込まれています。また、WCCAが、大戦中、収容所の過密化により、新しく建設された収容所に、住民を再移転させる決定を下したことを伝える極めて重要な記事も存在します。その後WCCAから戦時転住局WRAへ退去者の管理が移りました。1943年初頭、WRAは米国への忠誠を確約した退去者に限って、彼らの強制収容所からの解放を認め、逆に、日本への忠誠が強いと判断された者を、カリフォルニアのツールレイクにある「隔離収容所」に送致しました。
本コレクションは、日系アメリカ人の強制退去に賛同した、アメリカ在郷軍人会American Legionや、各種農業団体、商工会議所、西海岸の市長、西部出身の国会議員などの証言を収録する一方、被抑留民の権利を擁護していたアメリカ自由人権協会ACLU、日系アメリカ人市民同盟JACLの記録を残しています。主な資料である新聞や雑誌の切り抜きは、当時の強制収容に関する日系2世の法廷での闘争や、強制退去を強いられた退去者の損害賠償問題など幅広い内容を持っております。例えば、マンザナール強制収容所を訪れたある編集者は、「強制収容は、日系2世に深く染み付いたデモクラシーの信念に対する驚くべき一撃であった。我々は、『肌の色、信条、昔の隷属状態にかかわらず』という教科書の文言を何の疑いも無く信じてきた。今では、マンザナールの狭い境界内で、多くの人が不思議に思っている」と収容された日系人の複雑な心境を報告しております。