株式会社極東書店トップ > 商品一覧 > Records of the Dept. of State relating to United States Commercial Relations with Soviet Union, 1950 - 1963 . 35mm silver positive microfilm 12 reels with guide.
商品詳細
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解説
米国 National Archives が所蔵する国務省公文書のうち、アメリカ合衆国とソ連との通
商関係に関する機密文書を収録した本資料集は、アジアでは朝鮮戦争の勃発、アメリカではマッカシー旋風、ソ連ではスターリンの粛清の嵐に緊張が高まっていた1950 年から、ケネディ-米国大統領暗殺の1963 年までの時期をカヴァーしています。この間アメリカではトルーマンからアイゼンハワー、ケネディーへと政権は替わり、ソ連ではスターリンのあとフルシチョフ時代へと移っています。
戦後世界経済の在り方を左右したのは冷戦の進行です。アメリカはIMF・GATT 体制を軸に世界資本主義の再建に努め、一方ソ連の影響力を封じ込めるために厳しい対共産圏通商禁止措置を各国に押し付けます。ソ連ではスターリン死後(1953 年3 月)、後継者たちは内部で対立しながら集団指導体制をとります。第一書記フルシチョフは56 年2月スターリン批判の秘密報告の後、国際的な緊張緩和を推進、国内の“雪解け”ムードの下でソ連社会の文化的・政治的活性化を企り、また農業停滞の打開のため機構改革や増産計画を進めます。しかし彼の主観的な政策は破綻し64 年10 月失脚します。
1957 年10 月ソ連人工衛星スプートニク打ち上げで自信を深めたソ連は、58 年11 月西ベルリンの自由都市化を主張し第二のベルリン危機を招きますが危機を回避し、米ソ両国は国際紛争の平和解決に努力することを合意しました。しかしこの緊張緩和も60 年5月のU2 型偵察機問題で短命に終わります。
59 年2 月に革命が成功しカストロ政権が誕生したキューバに対して、ケネディー政権は
61 年4 月キューバ侵攻作戦を実行して失敗、その直後にウィーンでフルシチョフとの首脳
会談に臨みますが両者強硬姿勢を崩さす、そのため会談後は相手を威圧する軍備拡張方向に走りました。米ソ間の緊張は62 年10 月キューバのミサイル危機で頂点に達します。ソ連のミサイル撤去で危機は回避されましたが、むしろ核戦争の危機を乗り切った体験を共有したことから米ソ首脳間に歩み寄りが生まれ、63 年6 月ケネディーは演説で対ソ平和共存性を協調し、ワシントン・モスクワ間ホットラインも開設、懸案であった部分的核実験停止条約も8 月米英ソで調印されました(中仏は不参加)。
本資料集は深刻化する冷戦の中で米ソ両国がいかに対立と融和を繰り返してきたか、軍事・安全保障優先の陰で通商問題がいかに位置づけられてきたかを明らかにする貴重な資料です。
商関係に関する機密文書を収録した本資料集は、アジアでは朝鮮戦争の勃発、アメリカではマッカシー旋風、ソ連ではスターリンの粛清の嵐に緊張が高まっていた1950 年から、ケネディ-米国大統領暗殺の1963 年までの時期をカヴァーしています。この間アメリカではトルーマンからアイゼンハワー、ケネディーへと政権は替わり、ソ連ではスターリンのあとフルシチョフ時代へと移っています。
戦後世界経済の在り方を左右したのは冷戦の進行です。アメリカはIMF・GATT 体制を軸に世界資本主義の再建に努め、一方ソ連の影響力を封じ込めるために厳しい対共産圏通商禁止措置を各国に押し付けます。ソ連ではスターリン死後(1953 年3 月)、後継者たちは内部で対立しながら集団指導体制をとります。第一書記フルシチョフは56 年2月スターリン批判の秘密報告の後、国際的な緊張緩和を推進、国内の“雪解け”ムードの下でソ連社会の文化的・政治的活性化を企り、また農業停滞の打開のため機構改革や増産計画を進めます。しかし彼の主観的な政策は破綻し64 年10 月失脚します。
1957 年10 月ソ連人工衛星スプートニク打ち上げで自信を深めたソ連は、58 年11 月西ベルリンの自由都市化を主張し第二のベルリン危機を招きますが危機を回避し、米ソ両国は国際紛争の平和解決に努力することを合意しました。しかしこの緊張緩和も60 年5月のU2 型偵察機問題で短命に終わります。
59 年2 月に革命が成功しカストロ政権が誕生したキューバに対して、ケネディー政権は
61 年4 月キューバ侵攻作戦を実行して失敗、その直後にウィーンでフルシチョフとの首脳
会談に臨みますが両者強硬姿勢を崩さす、そのため会談後は相手を威圧する軍備拡張方向に走りました。米ソ間の緊張は62 年10 月キューバのミサイル危機で頂点に達します。ソ連のミサイル撤去で危機は回避されましたが、むしろ核戦争の危機を乗り切った体験を共有したことから米ソ首脳間に歩み寄りが生まれ、63 年6 月ケネディーは演説で対ソ平和共存性を協調し、ワシントン・モスクワ間ホットラインも開設、懸案であった部分的核実験停止条約も8 月米英ソで調印されました(中仏は不参加)。
本資料集は深刻化する冷戦の中で米ソ両国がいかに対立と融和を繰り返してきたか、軍事・安全保障優先の陰で通商問題がいかに位置づけられてきたかを明らかにする貴重な資料です。