株式会社極東書店トップ商品一覧Records of the Dept. of State relating to United States Commercial Relations of Japan, 1950 - 1963 . 35mm silver positive microfilm 14 reels with guide.

商品詳細

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Records of the Dept. of State relating to United States Commercial Relations of Japan, 1950 - 1963 . 35mm silver positive microfilm 14 reels with guide. 米国国立公文書館所蔵 米国国務省機密文書 日米通商関係 1950~1963年

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出版社(Scholarly Resources, US)
言語ENG
ニュース番号<524-3309>

解説

米国は「日本が占領の終了後も安定を維持し自発的意思で米国の友好国として残るよう経済的・社会的に強化する」ことを政策として、1948 年経済安定9 原則、1949 年戦後インフレーションの一挙収束を図ったドッジラインが具体化されました。ドッジラインの強行で日本経済は強いデフレに見舞われましたが1950 年6 月勃発した朝鮮戦争の特需で、日本経済は漸く戦後復興をなしとげ、1951 年9 月サンフランシスコ対日講和条約で米国の日本占領は終結します。
 戦後の世界経済体制は米国の圧倒的な経済力を背景に1944 年のブレトンウッズ協定に基づいて、世界銀行、IMF の設立、ガット協定を軸に形成されます。独立後の日米経済関係は米国の支援の下で日本経済が自立の道を歩みはじめる時期であり、同時に日本が米国の経済的競争相手として成長していく過程でもありました。アメリカの支援を得て日本は、1952 年IMF 加盟、55 年ガット加盟を果たし国際社会への復帰を果たします。1955 年以降は設備投資拡大を中心に日本経済は成長を続け、神武景気、岩戸景気と続く好況を呈しました。このような経済成長は対米輸出の増勢となり、早くも1955 年日本からの廉価な綿製品輸入の急増をきっかけに綿製品を巡る日米経済摩擦が生じます。
米国の優位は日本・ヨーロッパの復興自立とともに次第に脅かされ、加えて米国は軍事支出や経済援助の膨脹で58 年以降国際収支は赤字となって金の流出を促し、基軸通貨としてのドルの安定が60 年代の最大の問題となっていきました。こうした状況に対して米国は1962 年通商拡大法を制定して欧州に対抗し、ガットでの関税一括引き下げ交渉=ケネディ・ラウンドを提唱するにいたります。ドル防衛が米国の対外経済政策の中心となり1963 年7 月米国海外投資抑制へとつながっていきました。
 日本経済の躍進に対して米国は日本経済の一層の自由化を迫り、1961 年池田・ケネディ会談は両国を「イコール・パートナー」と規定して「日米貿易が秩序ある発展を遂げることを期待し自由貿易政策をとる」と声明、日米貿易経済合同委員会が設置されました。本資料集は戦後日本経済の復興と自立の過程、さらに日米経済摩擦につながるこの時期の日米経済関係を明らかにする貴重な資料です。