株式会社極東書店トップ > 商品一覧 > The Mackinnon Papers, ca. 1856 - 1893 . Holdings from the SOAS, University of London. 35mm silver positive microfilm 68 reels with online guide.
商品詳細
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解説
2003年、『海運企業と帝国』(Munro, J. F. Maritime Enterprise and Empire: Sir William Mackinnon and his business network, 1823-93, Boydell Press, 2003)と題する本が刊行されました。その副題には『サー・ウィリアム・マッキノンとそのビジネス・ネットワーク』とあります。スコットランド出身の海運企業家マッキノン(Sir William Mackinnon, 1823-93)が1856年に創設した「ブリティッシュ・インディア汽船会社」(The British India Steam Navigation Company)(Part III)は19世紀末から20世紀初頭にかけて、通称"BI"として親しまれ、P&O汽船会社とアジア航路を二分する巨大な海運会社となり、マッキノンは海運王として世界史に名を残すことになります。
その後、事業は拡大する一方で、アデンからザンジバル、インド洋からペルシャ湾、アフリカ東海岸にまで及ぶことになりました。東アフリカの植民地権益を巡っては英独の確執がありましたが、マッキノンは政府の支援を受けて、1885年のベルリン条約の後、「東アフリカ会社」(The Imperial British East Africa Company=IBEA)(Part IIA)を創立します。1888年にはヴィクトリア女王の勅許を得て、IBEAは長さ1150マイル、面積64万平方キロメートルに及ぶ地域の植民地経営に乗り出します。1895年に「英領東インド」として英国政府の直轄統治となり、20世紀の独立後にケニア、ウガンダとなります。収録の文書は、インドと「東インド会社」、満州と「満鉄」との関係にも匹敵する植民地経営の歴史的史料です。
マッキノンは、アフリカ中央部でイスラム勢力に囲まれたエジプトの赤道州知事エミン・パシャ(Emin Pasha, 1840-92)の救出に向かった探検家スタンレー遠征隊に3万2千ポンドの資金援助をしました。(Part IIB)エミン・パシャは理想の自治領を提起した人物といわれ、また、その暗殺に現代アフリカ中央部(スーダン、ウガンダ)の地域紛争の源流を見る研究もあります。(富田正史『エミン・パシャと<アフリカ分割>の時代』、第三書館、2001年)
マッキノンは1858年に「グラスゴー市銀行」の重役となります。辞職後の1878年、同行が破綻、スコットランド金融史上最大の事件となりました。(Part IVA)彼も清算人に25万ポンドを請求されましたが、最終的には免れることができました。同行の破綻に関する金融史・会計史の研究も確認されています。
その他に多くの書簡を含むマッキノン文書はロンドン大学SOASに所蔵されています。
その後、事業は拡大する一方で、アデンからザンジバル、インド洋からペルシャ湾、アフリカ東海岸にまで及ぶことになりました。東アフリカの植民地権益を巡っては英独の確執がありましたが、マッキノンは政府の支援を受けて、1885年のベルリン条約の後、「東アフリカ会社」(The Imperial British East Africa Company=IBEA)(Part IIA)を創立します。1888年にはヴィクトリア女王の勅許を得て、IBEAは長さ1150マイル、面積64万平方キロメートルに及ぶ地域の植民地経営に乗り出します。1895年に「英領東インド」として英国政府の直轄統治となり、20世紀の独立後にケニア、ウガンダとなります。収録の文書は、インドと「東インド会社」、満州と「満鉄」との関係にも匹敵する植民地経営の歴史的史料です。
マッキノンは、アフリカ中央部でイスラム勢力に囲まれたエジプトの赤道州知事エミン・パシャ(Emin Pasha, 1840-92)の救出に向かった探検家スタンレー遠征隊に3万2千ポンドの資金援助をしました。(Part IIB)エミン・パシャは理想の自治領を提起した人物といわれ、また、その暗殺に現代アフリカ中央部(スーダン、ウガンダ)の地域紛争の源流を見る研究もあります。(富田正史『エミン・パシャと<アフリカ分割>の時代』、第三書館、2001年)
マッキノンは1858年に「グラスゴー市銀行」の重役となります。辞職後の1878年、同行が破綻、スコットランド金融史上最大の事件となりました。(Part IVA)彼も清算人に25万ポンドを請求されましたが、最終的には免れることができました。同行の破綻に関する金融史・会計史の研究も確認されています。
その他に多くの書簡を含むマッキノン文書はロンドン大学SOASに所蔵されています。